ツールドおきなわ2017
27位でした(先頭から10分32秒遅れの、26位集団6人のうちの2番目ゴール)。【学校坂の登り(安波の登り)で千切れて、その後でなぜか復活して集団から抜け出す】という展開はここ数年間まったく同一でありますが、千切れ方はちょっと違ったようにも思えます。
学校坂の登り(安波の登り)で遅れた時に、先頭付近のペースも極端に上がっていたわけではないはず。行ってしまった先頭集団は30人ほどと多く、これに入れなかったのは明らかに力不足。鎖骨骨折直後から色々と工夫して練習の質は下げないようにしてきたつもりではありましたが、やはり強度も量も足りなかったようです。残念ならが上位を狙えるほどには戻せませんでした。
怪我を言い訳にはしたくありませんが、次回に繋げるために客観的に判断すればたぶんこの通りだと思います。この学校坂以外は好感触で走れたとも思いますし、鎖骨骨折から一ヶ月半ほどにしては悪くない。出来るだけの準備と走りが出来たと納得もしています。
原因も強化すべきもポイントはハッキリしています。まだまだメゲずに頑張っていこうと思いました。
26回分の結果
去年までは三回連続で10位(狙っているわけではありません)。
年 | 結果 |
---|---|
1992 | 60くらい(46kmレース) |
1993 | 12(116kmレース) |
1994 | 12 |
1995 | 12 |
1996 | 9 |
1997 | DNF(落車・パンク) |
1998 | 25 |
1999 | 8 |
2000 | 12 |
2001 | 11 |
2002 | 19 |
2003 | 8 |
2004 | 10 |
2005 | 5 |
2006 | 4 |
2007 | 7 |
2008 | 3 武末-高岡-奈良 前二人が逃げ切りで、後ろの集団の頭で三位 |
2009 | 31 体調不良+漁港での脚留め |
2010 | 15 絶好調だったがパンク |
2011 | 28 ヘルニアからの復帰 |
2012 | 4 失敗ゴールスプリント |
2013 | 24 落車によるメカトラ |
2014 | 10 二度目の登りで遅れて勝負には絡めず |
2015 | 10 安波の登りで遅れて勝負には絡めず |
2016 | 10 安波の登りで遅れて勝負には絡めず |
2017 | 27 鎖骨骨折から一ヶ月半 安波の登りで遅れてダメダメ |
宿出まで
去年よりもスタートが30分ほど速くなっていたので、動き出しも早め。4:00起床。目覚めスッキリ・体調バッチリ。朝ごはんはご飯1.5合・梅しそふりかけ・インスタント味噌汁(宍道湖産しじみを追加)・ヨーグルト。
5:30くらいに宿出。毎度の駐車場着は6:00前くらい。まだ真っ暗です
スタートまで
天気予報は曇り。気温は低め。かなり肌寒い(個人的には、暑ければ暑いほど嬉しい)。ジャージに着替えてゼッケンを貼って、アップはせずに上着を着て待機。こねこたんが駐車場でぴょんぴょんと遊びまくっていて可愛い。
『ノラにしては綺麗だし人懐っこいな』と思っていたら、駐車してある自動車から抜け出しちゃっていたみたい。飼い主さんが犬さんと一緒に現れてホッ。
スタート地点へはスタートの10分くらい前に。体調も他の準備も、現時点としては万全です。
機材・ウエア
MERIA REACTO 52*36/12-28・フルクラムレーシングスピード・ハッチンソンカーボンコンプ・以上で自転車重量7.6kgくらい
BIORACER長袖エアロワンピース(ポケットあと付け)・アンダーシャツなし・OGK AREO-R1・シューズRC-9・シューズカバーVELOTOZE・指切りグローブ・
補給
実際に使用した個数です。あまり暑く感じられなかったので、水分は少なめ。脚攣りは兆候も含めてゼロ。うまく対策できました。
(空きボトルやゴミはコース上ではなく、補給所や関門で捨てましょうね!)
- CCDドリンク200cc【170×2/5=68kcal】
- バナナ×1【100kcal】
- ワンセコンドCCD×6【165kcal×6=990kcal】
- 金のメイタン×1【108.8kcal×1=108.8kcal】
- Mag-onエナジージェル×1【120kcal×1=120kcal】
【合計 1387kcal】
一度目の普久川ダム登りまで
リアルスタート直後に山根っちがファーストアタック。かっこいー。それに10名ほどの選手が反応していき数人が落ちてきて、海岸線に出るあたりで逃げ集団が確定。別ジャージの一人も含めて、FIETS GROEN日本ロボティクスからは三人が乗りました。
メイン集団は逃げを追うでもなく抑えが入ったわけでもなく、脚なりに淡々と。向かい風が強くてスピードが上がらず、淀んだ感じで怖い雰囲気。ツールドおきなわは最高級に走り甲斐のあるレースではありますが、序盤の怖さもまた日本最高級。落車祭りになるのは明らかなので、先頭付近でローテに入ってポジションキープ。お陰で40km付近であった大落車もゴールするまでそんなことがあったとは知らないくらいでした。
逃げメンバーがかなり強力だったこととメイン集団のペースが上がらなかったことで、差はあまり縮まらずに5分程度の差で一度目の普久川ダム登りへ。
一度目の普久川ダム登り
アタックも掛からず全体に遅かったはずなのに、けっこうキツく感じられて集団の後方でクリア。ただ、私の場合は一本目の方が二本目よりもずっと苦手なので、キツくても千切れそうなほどではなくクリアできた事にまずはホッ。補給所を越えて下りに入ったトコで、先頭集団は50人ほどとけっこう多め。やはり速くはなかったようです。
二度目の普久川ダム登りまで
下りがオソーで、後ろから登りで遅れた選手が次々と合流。『もう少し速い方が安全なのに』と思いつつも、私一人が先頭で焦ったとこで集団全体のスピードが上がるわけではないので淡々と走る。
奥の登りでもペースは上がらず、海岸線に出たあたりでは100人近くに膨れ上がっていたような。思わず最後尾まで下がって確認と知り合いへの挨拶まわり。でも、なんでもない平坦でも落車が発生していたりして怖かったので、前に上がってポジションキープ。
うーん。全体的に遅い感じと、気温が低めで走りやすい状況のどちらも私にとっては嬉しくない状況です。二度目の登りと、私にとって最大の鬼門である安波の登り(学校坂)に備えて金のメイタンを一本摂取。
二度目の普久川ダム登り
いわしーが登り口からアタックして単独先行していきましたが、集団はスルーして淡々と。『優勝候補の一角に誰も反応しないとは』状況でしたが、メイン集団は高岡さん井上さんといったあたりしか見ていませんでしかたね?結果的にいわしーは登りの中段で吸収され(序盤の落車の影響があったみたい。気の毒)、一度目とほぼ同じペースでピークまで。個人的には一本目よりも遥かに余裕を持って先頭付近で走れて、非常に好感触。
ピークまでで56サイクル以外の全ての逃げメンバーを吸収。FIETSの面々やポールさん櫻井さんといったあたりに声掛け。お疲れさまでした。
安波の登り
私にとって最大の鬼門である安波の登り(学校坂)に備えて、下りは前から数番手で走る。下りきった直後に井上さんがスーッと先頭に出ていき、それに高岡さんがピッタリとつく。ただしペースはそこまで速かったとは思いませんでしたが・・・中間地点あたりで集団から遅れ始めてしまいました。登りきったあたりでは30秒ほどのビハインド。
前の集団は30人ほどと多く、メンバー的にも『普通だったら あそこでは走らなくてはいけないし、走れるはず』という雰囲気。なのに食らいつけずに切れました。ただでさえ苦手なこの学校坂で、練習不足でごまかしが効かない現象がピンポイント発現してしまいました。
同じように遅れた小集団で先頭集団を追走。ずーっと30秒ほど前に見えているから、向こうもペースは落ち着いているはず。うまく追えば復帰できるはず。まわりに声を掛けて諦めずに追いましたが、残念ながら力を使い果たしているメンバーが多く、じわじわと離され やがて見えなくなりました。
こうなってしまった以上は この集団でぬくぬくと走るのではなく、力を出し切る精一杯の走りをしなくては。簑原くんやイナーメのお二人に『ここで走ってもしかたがないので、どっかから抜け出して行っちゃうから』と声掛けナンパ。
最後の補給所まで
気温が高くなく、給水はほぼゼロ。スタート時点のボトルもほぼ満水状態で残っていたので最後の補給地点(ここが慶佐次?)で補給は取らずにスピードアップして先行。『誰か来ないかな?』と思ったのに誰も来ず、ピーク付近で全員まとまって追いかけてきました。あらまあ、では次に。
すぐ後に前に210kmの二人の選手が見えてきて、遠目にも『去年の沖縄でずーっと一緒に走った』雑賀さんと、『今年の富士チャレ200でずーっと一緒に走った』堀井さんであることがわかりました。二人共強いし気持ちのよい走りをする選手であるのはわかったいたので、これは好都合。次の登りで(簑原くんあたりに誘いのチラ見をしつつ)飛び出し、前の二人の前に出る。後ろをチラ見してチェックすると・・・雑賀さんは終了で残念。堀井さんが来そうな雰囲気を感じたので、待って連結して二人でゴーゴー。
思った通りに堀井さんは強いししっかり引けると、とても気持ちよく走れました。ありがとうございました。
途中で松尾くんと56サイクルを吸収。ちょっと休憩した後、松尾くんもしっかり回ってくれました。ここも非常に気持ち良し。ありがとうございました。
羽地ダム
ゴールまで
最後の平地で荒瀧さんを吸収して七人。『意味なしスプリントはせずに流してゴール』という雰囲気が漂う中、ラスト2kmで板子さんがアタック。小山くんが反応して(詳細省略)、潰して最後は小山スプリントが炸裂。ワタ足しはその後ろで堀井さんと競り合いつつゴールでした。
感想
学校坂で切れてしまったのは しっかり備えていたから情けないし恥ずかしいとも思いますが、冷静に判断すれば今年は絶対的に力が足りなかったせいも思います。
風が強く全体にスローペースで、気温も低めで走りやすく、集団の面々の脚が後半になっても例年以上に残っていて、ポロポロと落ちてくる選手が非常に少なかったというのもあります。キツいコンディションだったら、あと10番手は順を上げられていたはず(入賞あるいはヒトケタに届かない以上は、何位でも一緒とも言えますが)
怪我を誇大に言い訳にするではなく、逆に不要なまでに落ち込むこともなく、今年の状態を正しく捉えて来年に繋げたいと思っています。応援声掛けサポートしてくださった皆様、ありがとうございました。まだまだこれから~。
松木さんの二位は残念!優勝が私ではない以上(笑)、松木さんに勝ってもらいたかったです(でも、半分は一緒に練習してきたものとして誇らしいような嬉しいような)。練習ご一緒してくださり、ありがとうございました。
ゴール後
すでに宿はチェックアウトしていたので、駐車場で着替えて荷物を まとめてふれあいパーティーへ。知り合いとお喋りしながら市民210kmの表彰式まで。那覇戻り、20:55のJAL最終便で羽田帰り。この時間からだと電車を乗り継いで上尾までは戻れません。大宮まで帰ってから、タクシーで25:34帰宅。長い一日でした。