ツールドおきなわ2018

4:30くらいに起床。体調は非の打ちドコロなし。寝付けない・眠りが浅いということも皆無でぐっすり眠れました。買い置いた白米・味噌汁などで朝ごはん。快食快便。
5:45くらいにホテルを出て会場行き。毎度の場所に駐車。210kmの顔見知りメンバーは少なめで、ちょっと早かったかも。暗いしまだ肌寒いので車内で待機。
明るくなってから準備を開始し、実走で軽くアップとメカの最終チェック。スタート地点へはスタートの10分くらい前に行って、最前列に入れさせていただく(シード権があったので。お許しください)。まわりは知り合いばっかり。
最前列からスタートしたので気づいていませんでしたが、スタート直後に早くも楽車があった?みたい。今日の荒れるレースを象徴していたのかも。
1kmも行かないうちに二人か三人が集団から抜け出し、直後に『逃げる宣言』をしていた高橋・元山のフィッツペアが追っていって逃げ集団確定。行ったのは五人かな?フィッツ二人が最有力であるのは(たぶん)間違いがないので、集団最前列に出ていって追走にチェックを入れる・
以降、チームメイト二人か逃げてくれたお陰で追走を抑えつつ、集団ほぼ先頭にずっーと位置して安全に走ることができていました(引かせてしまった方、どうもすみません)。安全だし力は使わないし、理想的な展開でした。
一度目の与那からの登りに近くなり集団がわさわさし始めた頃にポジションを僅かに落としてしまい、前走者が突然落車し避けきれずに突っ込み、後ろからも踏まれて落車しました(たぶん二つ目のトンネルの直前)。同時に落車したのは十人弱?
急いで再スタートしようと自転車を起こしたら、リアディレーラーがぶらんぶらん・・・終了でした。怪我は膝の打撲と擦過傷、手の指の擦過傷くらいで酷くはない(はず)。
再スタート出来なかった五人でコース脇に逸れて しばし呆然。直前までは理想的な走りが出来ていただけに身の不運(と、ちょっとだけポジションを下げてしまった下手クソさ)を呪いましたが現場には知り合いの優勝候補もいて、鎖骨ポッキーで肩がぶらんぶらん・・・話を聞いていくと怪我以上に色々と気の毒すぎて、自分の不幸を忘れちゃうくらい。私だけ路肩に立って、救急車に見逃されないようにチェック。
スタート直後の140km集団が通り過ぎていき、何人かは声を掛けてくれました。ありがとうございました。怪我はたいしたことないです。その集団後方の救急車両の確保に成功し、五人まとめて乗せていただき、まずは救急病院直行。のちに会場へ。応急手当をしていただいてから、臼井との合流に成功して事情説明。面目なし。
鎖骨ポッキーだった去年の悔しさから今年は万全の状態にすることができ、一桁はもちろん入賞も狙える?!と思っていただけに残念な結果になりました。
ただ、出来るだけのことはやったし、53歳でも勝負に絡める(はず)のところまで持っていけたという満足感はあります。54歳でもまだいける!(はず)腐らずにまた頑張ります!
↑↑と書くのは簡単ですが、実際はけっこうな葛藤があるわけでして、『怖すぎ~』『もういいかな~』と萎える気持ちを奮い立たせて、来年はさらに安全な位置で走れるように工夫してみます。
ゴールまで(私の自転車が回収されて戻ってくるまで)時間があったので、臼井と一緒にパン屋さんと農産物直売所めぐり。美味しいものを食べると気が晴れます~(多少は)。
会場に戻ってゴールした皆様から色々と話を聞く。とにかく楽車多発で、優勝候補も多数巻き込まれたデンジャラスなレースだったみたい。生き残ったメンバーで最後は勝負の、これがホントのサバイバルレース?(笑えない)
かなり終盤まで大集団で展開し、後半勝負になったみたい。気温もかなり高くなったみたいで、私にとっては理想的な展開だったみたい・・・うーん、そこで走りたかったなあ。いいトコまでいけた!ような気がするなあ(負け犬の遠吠え的ではありますが)。
ふれあいパーティーで色々と話しをして、市民210kmの表彰式まで見てから撤収。許田の道の駅に寄ってから那覇まで。レンタカーを返して空港のA&Wで夕ごはんを食べて東京に戻る。羽田からは自動車で25:00すぎに帰宅。『どこいってたんだにゃー!』と ぶさんが怒ってやってくるので、対応して26:00くらいに就寝。
また頑張ろうっと。